難病ALSと父①患者自身が治療を選び、共に生きる覚悟を持つ重要性

2014年にSNSで話題になったアイス・バケツ・チャレンジ。

筋萎縮性側索硬化症(ALS)という病気の支援を呼び掛けて氷水をかぶる動画を撮影したり寄付したりと、全世界で大きなムーブメントになりました。

流行が過ぎて忘れかけている方もいるかもしれません。

しかし日本ALS協会の統計によると、ALSに罹患している患者は全国で9557人(2015年末現在)もいます。決して「ものすごく珍しい」という病ではありません。

1年間に新たに罹患する患者は人口10万人あたり1~2.5人と言われています。

そして私の父も患者の一人。6年に及ぶ闘病の末に2018年7月、父は天国に旅立ちました。

病と共に生きた父や家族の備忘録と、過酷な病として知られるALSを通じて考えたことを「病気の経過」「在宅介護」「医療格差」などのテーマごとに随時綴っていきます。

今回は発覚から病状の経過、そして父への思いをまとめました。

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ALSという病気

ALSは体を動かすための運動ニューロンが変性する神経性の病気です。日本では1974年に特定疾患に指定されています。

神経の命令がうまく筋肉に伝わらず、筋肉が萎縮したり、筋力が低下して体を動かせなくなっていきます。進行性な上、有効な治療法は残念ながらありません。

嚥下や呼吸に使う筋肉も衰えるので、生命を維持するために人工呼吸器や胃ろうに頼ることになります。

本人の意識はしっかりしているのに、動けない、食べられない、話せない。心と体を無理やり引きはがされるような残酷な病気です。

日本ALS協会のHPはとても分かりやすく解説しています。

脳で「口や手を動かしたい」と考えると、頭の中の運動神経細胞(上位ニューロン)からその命令が神経線維を伝わって下りてきて(この線維の束を錐体路といいます)、脳幹あるいは脊髄で次の神経細胞(下位ニューロン)に命令を伝えます。そしてこの命令は実際に口や手につながっている下位ニューロンの神経線維を伝わって行き、筋肉に到達します。ALSで障害される場所は、命令の乗り換えの場所(前角細胞)から始まる下位ニューロンと、脳から下りてくる上位ニューロンの両方です。両方が障害されると、結果的に筋肉を動かすことが出来なくなってしまいます。

出典:日本ALS協会

闘病ではなく共存

病を治療することをしばしば「闘病」と表現することがあります。しかし、ALSにおいてはこの言葉はそぐわないと私は考えています。

もしなってしまったら最後、特効薬もない、手術もできない。病と「闘う」ための手段がありません。

この病気のご機嫌を取り、なだめすかして、できるだけ緩やかに進行するよう祈るしかないのです。

そういった意味でタイトルも「共に生きる」という表現にしました。

62歳で突然の発症

青森県に暮らす父が発症したのは62歳の時。「なんだか歩きづらい」と思い病院を受診したことがきっかけで発覚しました。

父はそれまで大きな病気をしたこともなく活発なスポーツマン。本人も家族も「まさか」としばらくは現実を受け入れることができませんでした。

ALSは孤発性9割、家族性1割と言われています。親類に誰も病気の人がいなくても突然発症することが多いのです。

発症の男女差は男性のほうがやや多いそうです。年齢が高くなると発症しやすいのですが、中には10代や20代の患者さんもいます。

END ALS」を立ち上げ、さまざまなメディアで病気の啓発活動をされているヒロさんも30歳の時に発症したそうです。

急速に進行する病

父は徐々に体の機能が衰えていきました。初めは杖をついて歩いていましたが、次第にベッドで過ごす時間が長くなりました。

定期的な通院が難しくなり、医師が自宅まで診察に来る「往診」というスタイルに切り替えました。

嚥下の機能も衰えてきて、食べ物を飲み込みづらくなり、むせるように。

診断から1年半後には誤嚥性肺炎で救急搬送されたため、人工呼吸器を取り付け、胃ろうを造設しました。

人工呼吸器、意思確認の重要性

気管切開して人工呼吸器を取り付けるということは、ALS患者にとって大きな節目となります。一度つけると外すことはできませんし、必然的に胃ろうが必要になります。

中には、「人工呼吸器をつけない」と決めて過ごしている方もいます。

どちらにせよ、患者本人が納得して選択することが今後の生活を送る上で重要になります。

悔やまれるのは、父自身が「人工呼吸器を付けたいかどうか」をよく考えないままに取り付けざるを得ない状況になってしまったこと。

突然に呼吸困難となり搬送され、父ではなく家族がその重大な選択をすることになりました。

父自身が心の準備ができていなかったことは、後の介護生活のモチベーションに大きく影響したと思います。

気分が落ち込んでいる時、「自分は人工呼吸器を付けたくなかったのに」と恨み節を家族にぶつけてくることもありました。

また、本来は耳鼻科の医師が事前計画のもとに手術を行うらしいのですが、父の場合は一刻を争う状況で救命救急センターの医師が急いで気管切開を行いました。

そのせいか、気管切開の跡と人工呼吸器が合わず、空気が漏れて苦しい思いをすることも日常的にあり、そのたびに介護する家族も疲弊しました。

やはり患者自身がその後の人生を良く考え、覚悟を持って治療方法を選ぶことが大切なのです。

予防できたかもしれない脳出血

そんな父の強い希望は「家で暮らしたい」ということでした。人工呼吸器があると管理が難しいので施設に入らざるを得ない方も多いのが現状。

在宅介護をするということは、家族にも覚悟が必要です。そして手探り状態のまま始まった新生活は苦難の連続でした。在宅介護の詳細については改めて紹介したいと思います。

人工呼吸器を付けてから約4年半、在宅介護を続ける中で病状は進行していきました。

今年に入ってからは、目や口がわずかに動かせる程度に。それでも視線で文字を入力する機械を通じて簡単な意思疎通をすることができていました。

しかし2018年7月、突然に父は意識消失をしました。原因は脳出血。そのまま意識が戻ることはなく、4日後に亡くなりました。

脳出血はALSが直接の原因とは言えません。しかし、ALSでなければ予防できた可能性があったと思います。

健常者であれば不調を感じた時に自分で病院に行って検査ができます。

体に異常がある時に声を上げたり、倒れ込むので周囲もすぐに気付くことができますが、ベッドに寝たきりで声も出せないALS患者は知らせることもできません。

体に不調を感じていたのだからすぐに検査していれば。担当医師が「忙しい」と言わずすぐに往診に来てくれていれば。

悔やまれることはたくさんあります。

何気ない日々こそが宝物

父が歩けなくなってすぐ「昨日、走る夢を見た。楽しかった」とつぶやいたことが忘れられません。

歩く。走る。食べる。話す。仕事をする。トイレに行く。お風呂に入る。外に出掛ける。車に乗る。

病気になって父は、これらすべてを一人で行うことはできなくなりました。

私たちが日常で何気なく行っていることがいかに輝かしく素晴らしいことなのか。日々に感謝しながら大切に生きることが父への親孝行になると信じています。

日進月歩の医療。ALSに関しても海外での治療薬の開発など明るいニュースを聞くことがあります。苦しんでいる患者さんが「ALSと闘う手段」が早くできますように。

長文を読んでいただきありがとうございました!風邪に気を付けて良い年末年始をお過ごしください(^^)

 

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